7月から急に暑くなったと思えば、体が痛いくらいの日差しと暑さが続いていますね。
桂教会が属する日本キリスト教団では、8月第1日曜日を「平和聖日」と定めて、平和のために共に祈る礼拝を持っています。
3年前から、8月には隣の桂保育園の子どもたちに「平和」をイメージした絵を描いてもらい、教会の玄関の木に吊るしています。子どもたちが平和を思いながら描いた絵を、気に吊るして眺めることができるのは、まさに平和の賜物ではないでしょうか。
教会のメンバーが「平和については平和な時にしか考えることができない」と言っていました。
戦争や争いが始まってしまえば、平和ってなんだろうか、平和でいることはどういうことかなどと考えることはできません。
子どもたちが自由に絵を描き、それを道ゆく人が眺めて笑顔になるなんてことも、平和な地域があって、その人自身が平和でなければ難しいことなのです。
聖書の中で「平和」は「シャローム」という言葉で表されています。「シャローム」とは、何一つ欠けのない状態を意味します。そんな状態になれるのは、「神が共にいてこそ」と聖書では考えられており、神が共にいて満たしてくださるからこそ平和なのだ、そのように平和をイメージします。桂保育園の子どもたちとは、月に一度の礼拝でお互いにシャロームと挨拶をします。これが聖書の舞台になっている地域の挨拶だからです。そこには「あなたと神様が共にいて満たしてくださいますように」という祈りが込められています。
先日、桂保育園の卒園児さんに外で会うことがありました。教会でも保育園でもない場所で元気よく「シャローム!」と挨拶してくれて、思わず私の方が面食らってしまい、「シャローム」と小さい声で返事することしかできませんでした。
でも、この地域に、この世界でキリスト教を信じていようといまいと「シャローム」が実現しますようにと、桂教会ではいつも真剣にお祈りしています。どうぞこのブログを読んでいる皆様にもシャロームがありますように。
(文責:熊谷沙蘭)


